1962年生まれシングルマザー。現在、娘が3人。孫が4人。
東北外国語専門学校を卒業後、20歳で英語教室を開校する。
当時、学習塾はあるものの英語教室というジャンルはなかった時代。誰からも、教わることもなく、教室の立ち上げ、教材の選択、子供達への指導方法を独自で研究し、幼稚園児から小学生までを教えた。
最初の教え子が小学6年生で卒業をした時に、どうしても私に中学も教えてほしいとの要望があったが、私の小学生時代の成績は、ほとんどが0点だったこともあり、それは難しいと断り、専門の学習塾に通うことを勧めた。
しかし、学習塾の先生に馴染めず、また、戻ってきてしまった子供達。私も一緒に勉強しながら教える形でいいのかを確認し、それでもいいということで、仕方なく中学生までも教えるということになった。
自分も苦手だった数学を教えるなんて、当時の私には考えられない行動だったが、勉強がわからない事で学校の楽しさも半減することは、自分が一番良く知っていたので、子供達のためにやるしかないと決意した。
私自身が出来が悪い子供だったので、どこがわからないのか、どうしたらわかりやすいのか、どうしたら覚えやすくなるのか、弱点がわかることで、子供達の成績はみるみるうちに伸びていった。英語と数学の成績が良くなると、次は、社会も理科もと、子供達の方から要求され、私も必死に勉強をした。今、振り返ってもよくあんな無謀な挑戦をしたと思う。
どんな生徒も受け入れてくれるという評判がたち(後で聞いた話による)、一ヶ月最大70人の生徒を一人で教えるようになり、月収も100万を超える事もあった。一人で教える限界の人数があったため、お断りすることも多々あった。
子供達からの相談も沢山あった。学校でのいじめ、人生の相談、将来の相談、好きな人の相談、親子関係の相談、とにかくいろんな事で、子供達と話た時間は膨大だった。夏休み、冬休み、夜中の3時ごろまで討論をしていたこともあった。中学生相手だったが、向き合って話をすると、深くいろんな事を考えているものだと思った。
東日本大震災の次の年までの30年間で、600人の生徒を卒業させてから、私自身の次の人生のステップが始まった。学習塾をやめて、50歳で初めての会社勤め。そのきっかけは、震災で支払いが困難になった生命保険の内容だった。
娘が3人いたので、私の収入で一家7人を養うこともあり、生命保険は、高額にかけていた。借金を返済中だったこともあり、万が一の時のためにもずっとかけ続けていたのだ。学習塾を始めた時からなので、20歳からだ。
ところが、震災で改めて自分の保険の内容に向き合うことになった。それは、支払いが困難になったから相談をした時に、あれ?自分の保険てこういうものだった?確か、貯蓄もなかった??頭に疑問が沢山出てきた時に、ある保険会社の人に、保険の仕組みを知って入っていますか?と聞かれた。
保険の仕組み?商品の説明はよく聞くけど、保険の仕組みを教えてくれる人は誰もいなかった、、そして、自分の保険と照らし合わせて見た時に、30年前にはもう戻れない、、、と、とてもがっかりした。その方に、私は、馬鹿ですか?と聞いたら、大抵の皆さんはわからないで入っているし、わかったつもりで入っているのですよ、と言われた。それでも、大事なお金だし、もう少しわかっていたら、もっと違ったのではという後悔は、ぬぐいさえない。
そんな時に、この仕事をしませんか?と声をかけられた。が、営業なんて難しいし、私の若い時は嫌われる上に難しい仕事だという印象があり断った。家族も含めて周りの人からも、今まで先生という立場から、何故人に頭を下げる仕事するのかと反対もあった。
しかし、勉強をしてみたら、はまってしまった。奥が深いことがわかった。そして、本当に大変な時に役に立つ仕事だと思った。そして、私のような後悔をさせたくないという思いから、この仕事をする決意をしたのだ。それも、50歳でだ。
今は、一社専属から20社取り扱える代理店に勤めている。こちらから商品を決定するのではなく、お客様の知識を増やして、お客様の意向をきちんと聞いた上で、複数の中からメリット・デメリットをきちんと把握してもらった上で、お客様自身に考えて選んでもらうスタイルをとっている。
震災後、震災で傷ついた子供達になにかできないかと、NPO法人コ・クリエーションセンター(CCC)を立ち上げた。その中で、現在中心となっている事業は、「子ども哲学」だ。今年で6年目で、延べ人数4000人突破した。卒業した子供達も追っかけていて、長期の休みに幼稚園にきてもらっている。その中で、子供達から、こういう授業がなくてつまらないという声も聞いた。決まった事を覚える授業はあっても、自由に意見を言い合い、自由に想像ができて、それを言葉にする機会が全くないからだ。子ども哲学を広めることで、自分の環境で自分の人生が左右するのではないことを知ってもらいたい。
20歳の時に、まだ、英語教室では収入が十分ではない時は、昼間弁当屋さんのバイトをした。朝4時に起きて、14時まで働いた。そうすれば、午後に、幼稚園児から小学生までの時間をとれた。その時に、素手で洗い物をした結果、手に湿疹が出て、接触性皮膚炎と言われた。(当時、アトピーと言う言葉はまだなかった)そこから、全身に広がり、5種類の軟膏を塗ることになった。目が腫れて、お岩さんのようになったり、痒くて寝ているうちにかきむしり、シーツが血だらけになったりと、25年苦しんだ。その時に、体の仕組みなどを勉強をして、ステロイドをやめのだ。両親も癌で亡くなった事もあり、健康も人生の中で占める割合が高い事は明らかだと思い、健康管理士1級の資格をいかして、多くの人にアドバイスをしている。
人生は冒険だと思う。何が起こるかわからない。
自分が主人公で、いろんな苦難にに泣いたり八つ当たりしたり、逃げ出したりしたり、失敗もした。何度となく襲ってくる波に嫌気もさした。
笑えた数はどれくらいなんだろう。幸せを感じた時間は、どれくらいなんだろう。出口が見えづらくなってしまい、生きていても良いことなどあるのだろうかと思い悩む事もある。
乗り越える壁は必ずやってくる。でも、その壁を乗り越える手段は沢山ある。それを、知らずにいるために、迷い苦しむ。遠回りをせず、乗り越えるためには手段となる「知識と行動」が必要だ。
そして、それは一人では変えられない。最後までやり切るには、誰かの助けが必要になる。そのための伴走者が必要だ。
貴方の人生をうまくいかせるための武器を身につけるお手伝いをし、最後まで寄り添いたい。
貴方の人生がより良くなるように、人生を総合プロデュースの髙橋知子が一緒に伴走します。
必ず幸せになるために。
実績
学習塾30年経営
NPO法人コ・クリエーションセンター理事長
子ども哲学講師
ファイナンシャルプランナー
相続診断士
投資診断士
健康管理士
アメブロ登録お願いします!http://tomokosstory