人は誰でも、生きている限り
人に言えないほどのしんどい事はある。
死にたくなったり、鬱になったり、
病気になったり、、、
誰かに助けを求めても、解決には至らない。
誰かに話をしたとしても、気持ちがおさまることはない。
もし、話を聞いてもらう事で、気持ちがおさまるのであれば、大した事ではないのだ。
本当に辛い事は、人に話ができないものだ。
何故か、、、
人に知れたくない気持ちが面に出て、
無理をしてでも、笑顔、いや、
笑って楽しそうにすることで、
その場をしのぐ。
泣く時は、誰にも気付かれないように、
顔を枕にあて、布団を深くかぶって、
声をこらえて泣いた。
自分がギリギリの状態でも、
子供達の顔をみれば、
母親の凛とした顔に戻る。
私は、今でも思う。
もし、自分だけなら、生きることは選んでいない。
もし、母が病気でなければ、生きることを選んでいない。
会社が倒産、保証人になったための借金返済、母が余命3ヶ月、三番目が生まれて1歳3ヶ月という、
どう自分の頭を整理したらよいかわからない状態だった。
あの時、母が病気でなければ、子供たちを預けて死んでいたかもしれない。5000万の死亡保証で、借金返済の半分以上は返せるかもと頭をよぎったからだ。
母が私の命を助けてくれたと思っている。
そして、
自分のところに生まれてきてくれた子どもたちも、
私の命を助けてくれるために生まれてきてくれたのだと思う。
母を最後までみなければならない。
子ども達を見捨てるわけにはいかない。
人生を考える?
どう生きるか?
そんなの余裕のある人が考えることだわ。
迷っている暇はない。
明日からのことを、
子供達に伝えなければ、、